夫がどんなに遅くなっても

共働きの夫婦の場合、妻の方は、それなりに自分の仕事を続けていくことが、生きる目標になっているであろう。家に帰れば、家事と子供のこと、外に出れば仕事と、彼女には目まぐるしい日常があるわけだが、夫のことも充分考えないと、生活の歯車がうまく回らなくなる。日本の社会はまだまだ女性が働くことに対して当たり前という空気が行きわたっていない。その分、夫は職場でそれなりに共働きからくるマイナス部分を感じている。そのことを考慮に入れないでいると、夫婦の聞のパートナーシップがくずれ、結局は共働きが非常に難しくなってくる。私の知人で共働きを統けてよく頑張っていると思う人は、話を聞いてみるとそれぞれに工夫もし、苦労をしている。たとえば、日頃は妻側の仕事が忙しいときに、夫に相当無理を言って、子供を迎えに行ってもらっても、金曜日だけは、夫がどんなに遅くなってもよいように考えている人もある。またある人は、週末の一日は夫だけで趣味の魚釣りやゴルフに行くようにしてもらっているという。そこだけ聞くと、共働きは、結局は女性にしわょせがくるようだが、夫が提げるにんじんと姿が提げるにんじんが違ってもいいのではないだろうか。真夜中に夫に仕事の相談にのってもらったりして、他人の気付かないところで夫婦の共通の時間を持つ、週末のある時聞は母親になる、そして、時には、自分なりの家事時聞を楽しむというように、いくつもの自分の顔を持つことだってできる。もちろん、家庭、家庭によってやり方が違うのは当然だし、夫婦が共に時間を過ごすこともあるし、それぞれに違うことを楽しんでいることもある。五十歳、六十歳になってあわてて、自分に合うにんじんを探すのではなく、若いうちから、夫のにんじん、妻のにんじん、それぞれの提げ方を工夫し、相手のものを尊重する習慣が大切であろう。夫婦共学ぴ共育ち困難転じて、勉強の好機となる十年ほど前のことである。加山さんの姑が病気で倒れ、そのまま寝たきりになってしまった。加山さんは長男の嫁であり、夫の両親は関西に住んでいたため、自宅の東京と大阪を週一回ずつ往復する生活が始まった。「息子が高校生で、何とかやってくれるので、東京には、一日か二日しかいないのよ」背白い顔をしながらも、頑張り屋の彼女は一年あまり君病を統けて、手厚い宕誕の中で、姑は亡くなられた。久しぶりに、何人かで集まる会に出てきた彼女は愉しそうに言っていた。